子どもの遊びに必要な事
子どもが ”遊ぶ” ということ…
大きくて、たくさんの遊具…
きれいな砂場、砂遊び道具…
土や芝生の広いグラウンド…
おままごとセット…
いろんな形ができるブロック…
ぬいぐるみ、人形…
合体するロボット…
音の出る楽器やおもちゃ…
子どもを“遊ばせる”のに大人が考える“おもちゃ”は本当に必要だろうか?
かつて、私も遊具の揃った公園や、おもちゃのある施設に通う毎日。
これは?こっちは?じゃぁあっちに行ってみる?
せっかく公園に来たのに遊ばない子どもにあれこれアプローチ。
「もう遊ばないなら帰るよ」
なんて言葉をかけたこともあったかもしれない。
公園の遊具で遊ばず、たたずむ子。
お友達の行動をじぃ~とみているだけの子。
その行動に耐え切れず、口出す親たち。
良かれと思ってではあるけれど、勝手に与えたおもちゃで遊ばないと
勝手にイラついてしまっている。
私たち、みつばのクローバーの“遊び”のフィールドには、
滑り台はないけれど、坂を見つければ、直接おしりで滑ります。
気づけば、おしり真っ黒、穴もあいてるかも(親泣かせの遊びですが…)
公園の滑り台のように反対から上がるのは禁止!なんてこともありません。
登ろうが、滑ろうが、走ってくだろうが、お構いなし。
はたまた、小枝を拾っては、いろんなおもちゃに大変身!
つなげて線路、振り回せば剣になり(もちろん危険な場合は声掛けしますよ)、
何かを叩いて、即興音楽隊。
お店ごっこをすれば、いろんな品物になり、お金にもなる葉っぱや木の実。
大きな岩を見つければ、みんな大好き電車、新幹線に早変わり。
「ガタンゴトン、ガタンゴトン、終点でぇ~す。降りてください。」
と運転士や車掌さんがたくさん(笑)
乗っている子は降りたくなくて、喧嘩にもなったり。
目についたものなんでも、その子その子の感覚で、いろんなおもちゃになります。
一点物の素敵なおもちゃ。
木の棒を巡って、取り合いもありますが、そこここに落ちているから
直ぐに“My棒”が見つかります(笑)
そんな大切な“My棒”やっと見つけた素敵な“My棒”のはずが…
次の瞬間、ぽぉ~い…斜面に向かって捨てました。
#$&%‘×*+‘P~(親の声にならない叫び(笑))
あんなに大切だと言った、やっと見つけた素敵な“My棒”なのに、
すぐに捨てて、本人は大笑い…。
…。
これが子どもなんだね。
何をするかわからない
何をしても面白い
高価なおもちゃをこんなことしたら、わざとでなくても壊したら、
きっと、目くじらてて怒鳴っちゃうかも。
でも、木の棒なんです。たかが棒、されど棒。
自由です。怒る必要もなく、イライラもしない。
親子ともにハッピーかも❤
子どもが“遊ぶ”ということはどういうことだろう?
親として、何を準備して、何を与えればいいのだろうか?
何もなくても、安心して遊べる空間
そして、親をはじめとする大人たちの暖かなまなざし
それだけあれば、子どもは勝手に遊ぶんだなぁ~
100%安全な場所はどこにもないけれど、
行きなれた場所、見知ったお友達、
それを見守ってくれる親がいれば
子どもは、夢中で遊ぶ。
そんな空間を作りたくて、みつばのクローバーは生まれたのかも。
なんだか、とりとめのない話になりそうな予感(汗)
ひとまず、この辺で。
まだまだ、書き足りない事たくさんあって…。
懲りずに、書くかもしれません。(いつか分からんけど…)
この話に関して、読んでくれたみんなの意見も聞きたいところ。
なかなか、集まってじっくり話す機会が持てないのが悩みどころですが…
よかったら、なんでも、意見、反論、共感、なんでも、
お時間ゆるす限り、コメントでもしてもらえればうれしいです。
(文:とことこ)